先日、気づかれする出来事があり、なんと9時半に就寝。これが新発見。非常によい。
思い出してみると、学生時代はいつもそうだった気がする。新学期や新しいことを始めたとき、なぜか無性に眠かった。一ヶ月も早寝をすると慣れてきて、夜ふかしに戻った。
きっと脳はそういうふうにできてるのではないか。デフラグが時間がかかるように、寝ている間に処理するべきできごとを、処理しているのかもしれない。
今後はそんなときには寝てみるか・・・と、改めて思った。
ピッツバーグで知り合った二人が結婚。新婚生活をそれぞれの見方でつづります。
自分の心の中の気がかりをどうマネジメントするのか、まだまだ修行である。気がかりがあるとき、時間がそれに費やされていく状況をなんとかしないと行けないと思っている。
時期によって違うが、それでも個人的な興味の部分、家族として作っていく部分、将来にむけて手を打つ部分、そういうものが気がかりによって食いつぶされるというのは、ナンセンスである。わかっていても、気がかりは簡単に消えるものではない。
では気がかりは大事か。いや、意外と気がかりは、どうもしっくりこない部分から発生しているものが多い。そして多くの場合、自分の行える範囲を超えた状況や問題について、気がかりを持っているということが多い。それは、もとになる現象には対処をしていて、それがもたらすであろう結果にヤキモキしているというのが、ありえるストーリーだからだ。
今考えていることは、気がかりがあるものが出てきたとき、それは追加して考える必要があるものか、一旦は答えを出しているものなのか、明確にしたほうがよいと思ってる。そのうえで、もし答えをだしたものなら、何かのイベントが発生するまでは、一旦決めた答えで突き進むのだ。いや、二度と方針を変えないとはいっていない。状況が変わるまでは、決めた自分を信用し、前に進むことが大事なんだろうなと思っている。
もはや、日記とは言えない頻度になっていますが、無事にやっている。
Sakurakoが本日から2泊3日の宿泊研修に出かけていって、父としては娘に緊張が伝わらないようにと思うものの、若干ビビリながら送り出してきた。COVIDのせいで、1年生、2年生と宿泊研修が中止になり、残念だったぶん、楽しい三日間にしてほしいと思う。
かわいい子には旅をさせよとは、よく言ったもので、自然のなか友達と過ごす時間の中で、いつもと違う環境を楽しむ気持ちが養えれば、うれしい限りだ。
さぁ、父も週の始まりなので、マンネリに陥らないよう、楽しみながらやろうと思う。
日記とは言えない頻度になってきているけれど、なんとか暮らしている。
やらなければならないことと、やりたいことが多く、時間的にうまく回せていない感じ。自分にとって必要ないことをやらないとか、いろいろな方法論は聞くものの、そしていくつか実践するも、気力と時間を保つことの難しさを感じている。そのあたりは、今後も最適化の方法を探っていくとする。
一方で、気持ちの部分では充実感を感じることもある。月の初めに、余裕があるときには、同じ月の1年前、2年前・・・とさかのぼって昔の日記をさらっと目を通してみている。アメリカ時代の日記は、非常に前向きに、学びたいことや考えたことに正直で、我ながらいい刺激をもらう。
当時、「睡眠時間以外はすべて学びだ」と感じていて、楽しい時間であった。睡眠時間といっても、もともとそんなに長くは寝てられない性分なので、朝から寝るまで、すべてが満足であった。それと比べて、今はどれだけ違うのだろう。実はそんなに違ってはいないのに、勝手に不自由に感じていることはないだろうか。
昨日電話会議の前に、先輩と雑談をしていて、「外食してないので気分が変わりません」みたいなことをいったら、「えっ、なんで外食しないの?」と普通に疑問を投げかけられた。理屈はいろいろあるけれど、勝手にできないって思っているなと気付かされる。
そんなことない。なんでもできる。って気持ちでやっていきたい。